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ラン♪ラン♪日記 涙の橘湾岸スーパーマラニック103km

2022年12月3日

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行ってきました!「長崎橘湾岸スーパーマラニック273 秋のH&W島原半島ステージP103部門」

初めての秋の橘は、あと一歩力及ばず(最後の関門に間に合わず)95km地点で涙、涙の強制終了となった。最初に伝えておくが、103kmは非常に長い!そのため道中も様々なことがあり必然的に文章も長い(笑)くれぐれもお暇な時に覚悟して読み進んで欲しい。

いざ!出発!

11月20日(月)正午、今回のP103km部門に参加するメンバー5人と長崎へ移動。寄り道しながらも夕方にはスタート地点の小浜に到着。23時のスタートまでは感染予防対策ということもありギリギリまで車中で過ごし、スタート2時間前になりようやく公民館の座敷で脚を伸ばし身体を休める。スタートしたら翌日17時のゴールまで18時間。ずっと眠らず動き続けなければならない。こういう時にどこでも眠れる人は凄いと思う。何とか目を瞑るが、ひっきりなしに頭元の襖が開いたり閉まったりするのでとても眠れたものじゃない。とうとう寝ることは諦め目を瞑ることに専念した。

今年8月上旬この橘の練習のため5人で三瀬トンネル〜東脊振トンネルの「地獄のWトンネル夜間走65km」を経験している。今思い出しても参加したメンバーは「あれよりきつい練習はない。あれを乗り越えたら何でも乗り越えられる」と口を揃えて言う。確かに真夏のWトンネルはきつかった。特に夜が明け陽が昇ってからは灼熱地獄としか言いようがなかった。足は売り切れ、容赦なく照りつける太陽に皆いつの間にか普段からは考えられないほど無口になり、表情はうつろで最後の方は軽く熱中症状態になっていた。今思い出してもゾッとするし笑える。あの地獄の特訓を思えば、今は11月下旬。暑さの危険はない。それだけでも助かる。

今秋の大会は私が参加した103kmが一番短いコースで、前日から既にスタートしているW(ダブル)273km、H(ハイパー)320kmの方々と途中から合流する。これは人が走る距離なのか?320kmって・・・福岡から鹿児島まで走って行けるのデスヨ。前世は飛脚か?走らない方々からするとヘンタイの域を超え、もう頭がオカシイとのこと。まぁ、そうでしょう。私もそう思っていました。以前までは。その域まで到達するには程遠いレベルだが、確実に一歩一歩足を踏み入れていることには間違いないだろう。

だいたい5月に春のショートコース55kmでさえ結構きつかった。17時のゴールまで残すところ40分くらいにゴールしたような気がする。今回一気に103kmだ!どうした私?きっとエントリーする時に何かが降ってきたのだと思う。何かとは何か?わからないままだが、未だに何故エントリーしたのか覚えていない(笑)とにかく未知の世界への挑戦が始まった。(仰々しくてスミマセン)

出場したことのある私のランのN師匠が「57km先の島原城まではほぼフラット。夜中頑張って走って朝までに島原城に着けば、その後の山登りは早歩き、下りとフラットを走ればゴールできる」と何度も聞かされていた。しかし、普段は寝ればあっという間に朝が来るというのに、ただ暗闇を走るというのは何と長い時間なのだろう。時折空に目をやると満天の星が煌めいている。「わー! すごーい。星がたくさん。きれーい・・・。」しかし、それだけである。夜間走のお楽しみは星が美しいことと、温かいスープが身に沁みて美味しかったことのみ。もう最後の方は真っ暗な道を走ることに飽きてきて得意の中弛み状態に。

ただただ暗い

有名な心霊スポット

ひぃ!何かが見える?

30km地点の原城跡は見える人は見えるという長崎県屈指の心霊スポット。絶対に一人では行けない。ま、霊感はないので大丈夫だが、おそらくあちら様もこんな疲れたランナーの前に現れても面白くもなんともないだろう。笑

そんなこんなで夜が明けた!

夜が明け、美しいオレンジ色の太陽が見えてくると不思議と元気が復活。また走れるようになってきた。しかし、予定よりも随分遅く島原城に到着してしまった。(最初の誤算)

島原城までが遠い・・・

島原城ではエイドの女神(スーパーボランティアのお姉さま方)が待ち受けてくれていた。とにかく島原城まで行けば皆に会える!どんなにきつくても島原城までは走るぞ!と自分に言い聞かせながら頑張った。思わず知った顔を見つける。「さっちゃん、頑張ったね。ほら、お握りと豚汁があるよ。食べなさい。」と優しく迎えてくれる。それだけでジワ〜っと涙が溢れてくる。エイドの女神達の目にも涙が。まるで感動のゴールシーンのようだが、まだフルマラソン以上の距離が残っている。みんなから元気をチャージ。さぁ、ここからが本当の意味での本番。雲仙岳に突入!眉山ロードと雲仙地獄2つの山越えが待っている。登りは歩いて良いと聞いていたためこの時点では歩けるなんて最高!と、気持ちは明るかった。しかし、登りだしてすぐにその考えが甘かったことに気付かされる。1つ目の眉山ロード・・なにこれ?歩いてもめちゃくちゃ傾斜が強くてきついんですけど・・? 早歩き? とんでもない。無理〜 (T_T)

この先に地獄が・・・

この辺りで2つ目の誤算と言うか当然だが、ガーミン(時計)の充電が切れてしまう。マラソンを始めた頃、まさかフルマラソン以上の距離を走ることなど想定していなかったため、その程度の機能しかない時計を購入していた。以降、今キロ何分ペースなのか、今何キロ地点にいるのか一切わからなくなり自分でペースが掴めなくなってしまった。同行してくれている師匠に登りの終点はまだ?と頻繁に聞くが、さっきからまだ1kmも進んでいないと言われ 嘘でしょ? とがっくり肩を落とすことの繰り返し。ようやく1つ目の山を終え、更に2つ目の大きな山へ。

絶景に癒やされながら

こんなんばっかり・・

登ったなぁ〜

ここで今まで一緒に行動してきたSちゃんが、とうとう「わたし、ここでやめる。」と小さく呟いた。「えっ?本当にやめるの?」と恐る恐る彼女を確認。Σ(゚Д゚) 今まで見たこともないような真面目な顔で「やめる。絶対に!」決心は堅いようだった。「私もどこまで行けるかわからんけど、行けるところまで頑張る!」と74km地点で彼女にサヨナラを告げた。ここから師匠と二人旅が始まる。

次はあれか・・

「次は登り10kmよ」と師匠に軽く説明されたが、聞かなかったことにする。 1つ目の山に比べると傾斜は緩いがとにかく長い。カーブを曲がっても曲がってもまだ続く。島原城のチェックポイント以降、どんどん時間の貯金も少なくなっていった。休憩ポイントでは少しでも時間を稼ぐために水分しか摂れなかった。「次も水分だけ摂ってすぐに行くよ!」と師匠に事前宣告されていたが、流石にお腹も減ってきた。しかもエイドに着くと「善哉ありますよ。温かいのと冷たいのどちらが良いですか?」と誘惑の声。実は事前にコースよりもエイドの内容をチェックしていた私としては、善哉とおにぎりと豚汁は絶対食べたいと思っていたため師匠に「善哉食べたい。冷たいのでいいから・・。」と思わず口にしていた。師匠は、は?っと一瞬驚いていたが、流石に駄目とは言えず「いいよ。俺も食べる。」と言ってくれた。(本当は温かい善哉が食べたかったが、猫舌のため冷やしでと妥協した。フーフーやらしたら怒鳴られそうだし・・)

糖分補給し(生き返った)ところで後5kmでこの山の頂点。関門の時間が気になる。もうどれだけ「あとどのくらい?」と尋ねたことだろう。師匠も大概うんざりして先に先に進んでいく。しばらく一人で登っていくと雲仙方面の分岐の看板まであと300mと確認。雲仙温泉のチェックポイントの関門は15時。分岐を左折したらあと2km下るだけ。間に合うかもしれない。一度は諦めたが下りだから間に合うかもと希望が湧く。とにかく走る。ひたすら走る。どこにこんな力が残っていたのかと自分でも驚く。あれ?まだかな?絶対2km以上あるやろ。ようやく硫黄の香りがする雲仙地獄へ到着。やっと着いた〜間に合った〜。ヽ(^o^)丿

あれ?CPどこ?

ここまできて

師匠の「あれ?場所が変わっとる!」の声。 はぁ〜?ここに来てまた走るの? 平日だというのに観光客が多い。すみません、すみませんとひたすら謝りながらチェックポイントを探しつつ坂を上る。ひたすら走る。どれだけのぼらせるの?と文句を言いたいとこだが、とにかく時間がない。ここへ来てタイムアウトとかありえん!必死にチェックポイントを探し当てたのはいいが、関門のポイントはここじゃない?。なんていじわるなの?今度は坂を一気に下る。ひたすら走る。あ!見えてきた!あそこだ!でも間に合わないかも・・。スタッフが叫ぶ。「大丈夫。まだ間に合うよ」と。何と関門ギリギリ20秒前だった。はぁ〜間に合ったと安堵するのもつかの間、次行くよと鬼師匠の声に否応なしに走り出す。ここのエイドは確か素麺だった・・・さよなら素麺・・またね・・泣

ここから更に9.4km先の最後の関門へ。関門時間は16時10分。間に合うか? しかし、ここへ来て第3の誤算。まさかのトレイルコースへ。雲仙温泉CPで力を出し尽くしたため息が上がりトレイルコースの坂を駆け上がる力は残っていなかった。下りも枯葉で滑り転倒しそうで走れず否応なしに時間を費やす。何とかトレイルコースを脱し、延々と下りが続く。このペースではとても関門には間に合わない。先を行く師匠も私を完走させようと必死だ。「諦めるな!頑張れ!間に合う!前に進め!」と。絶対に諦めたくない!何のために必死にここまで(90km以上)走ってきたのか? みんな応援してくれる。無事ゴールして皆と喜びを分かち合いたい!気持ちはあるのに足が動かない。そして確実にこのペースでは関門に間に合わないことを悟る。

もう無理だ。どんなに頑張っても無理なことはある。師匠には悪いけどこれが今の私の実力だ。ごめんなさい。悔し涙が溢れてくる。「私のことは置いて先に行って!やっぱり103kmなんて私にはまだ早かったんよ〜」と泣きながら師匠に訴える。「ここまで来て何言いようとや。運命共同体たい。」と師匠。私に付き合い師匠までリタイアさせてしまった。もう駄目だと決まった途端、二人でトボトボ歩きだす。無情にも小さな雨が降り出した。寒い。「関門はもう無理だけどゴールまで走るや?」と師匠。そこは潔く「いや、もう走らん」と私。事務局へ連絡し、車でピックアップしてもらいゴールへと向かう。次々とゴールゲートを通過し笑顔で記念写真に写るランナー達。あと少し。ゴールまであと残り8km。今の私には大きな壁だった。

先にリタイアしたSちゃんが「また来年リベンジしよう。」と声をかけてきた。「今はまだ考えられん」と私。宿に移動し、温泉で疲れた身体を癒やした後は美味しい食事とお酒で大会を振り返る。翌朝はみんなで旅館の前にある足湯へ。全身の筋肉痛もほぐれる。「結局来年の春はどうすると?」とみんな。「もちろん出るよ!55kmにするか80kmにするか迷いよる。」とわたし。「昨日はまだ考えられんって言いよったやん。もう考えが変わっとる。」と大爆笑された。

素敵な旅館でした

海の前の足湯

目の前は橘湾

来年こそは・・

10/30横浜マラソン、11/13福岡マラソン、11/21,22橘湾岸103km(95km)無謀とも言えるこのレースプランによって結果、免疫力を下げまくり帰宅後に体調を崩し、職場に大迷惑をかけてしまうという最悪の結末になったのだが、今後の課題が見つかった。

来年必ずリベンジすること、100km程度で体調を崩さない強靭な肉体を身につけること(笑)最後にN師匠、この度は不甲斐ない弟子のせいで師匠までまさかのDNFとさせてしまい心からお詫び申し上げます。春は別々のコースですが、一人でも立派にゴールできるよう日々精進します。見捨てず宜しくお願いします。

←師匠と弟子

師匠こんなんやったんか〜い↑笑           記載)平田

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